エピソード37あなたの顔も見えました
2023年7月20日 UP

佐藤鈴子さんは今、自分の目でカタログを見て商品を注文する喜びを噛みしめている。彼女は秋田生まれで、現在72歳。日本舞踊を教えていた母と、結婚式などに呼ばれては民謡を歌っていた父の影響を受け、歌の先生になりたいと上京した。30歳の頃から歌の教室を始めて約40年、現在は茨城県守谷市で1人暮らし、3カ所で教室を主宰し、生徒は約25人いる。
鈴子さんがコープの宅配を利用し始めたのは今から6年前。
「その頃からなんだか目の調子が悪くて。車を運転する頻度を減らしたいと思っていたの。でも教室もあるし、どうしても車は必要なんだけど」
鈴子さんは自分の目に異変を感じていた。宅配を利用し始めてから4年、文字は読みづらく、車を運転していてもまぶしいという状態にまで悪化した。
鈴子さんの家の宅配担当は、いばらきコープ コープデリ守谷センター※の
高野さんは驚いて理由を尋ねた。
「もうカタログや注文用紙がよく見えない」。それが鈴子さんの答えだった。
高野さんは子ども時代、祖母が大好きな“おばあちゃん子”だった。だから、ということもあるかもしれないが、高野さんはいつも高齢の組合員の方々に対して、自分ができることは何でもしてあげたいと思って仕事をしていた。鈴子さんがカタログが見えないから組合員をやめたいと話したときも、迷いなく「それじゃあ、一緒に注文書を書きましょう」と伝えた。
鈴子さんはびっくりした。
「配達のお兄さんじゃない。まるでお店の社長さんみたい。助けてもらった」
配達の日、玄関先でお届け商品を手渡した後、いつも買うコープのピーマンにたまご、無調整豆乳、あとは希望を聞いてカタログの商品の説明や値段を読み上げて買うかどうか決め、一つ一つ高野さんが注文書に書き込んで回収するようになった。希望の商品がないと近い商品を高野さんが探して、気に入れば購入するということを続けた。

鈴子さんの目の病気の悪化は深刻だった。
「診てもらった大学病院では両目とも見えなくなるって言われてしまって。生きるのもいやになってしまった」
鈴子さんにとって、毎週丁寧に自分の注文を代筆してくれる高野さんの存在は大きかった。そして高野さんにとっては鈴子さんは、少年時代の想い出に重なる“優しいおばあちゃん”だった。
その後、鈴子さんは知人に別の病院を紹介され、そこでは手術が可能と言われ、すぐに手術。手術は成功し視力は回復した。高野さんと再会した日、「目が治ったよー、見えるようになったよー」「よかったっすねー」と2人で喜び、鈴子さんは初めてきちんと高野さんの顔を見た。「あら、あなたそんな顔していたのね。かっこいいね」と思わず言葉が出た。
「あのとき生協をやめなくて良かった。本当にありがとう」
高野さんはそう言われた瞬間に、これが人に寄り添うということなのだ、と感じた。そして今は「これからも組合員の立場に立って、人に寄り添って」仕事をしていきたいと心に決めている。
※ 当時。現在はコープデリ藤代センター営業担当
illustration:Maiko Dake
※このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。
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