人と人 つながりの物語 コープデリグループの組合員数は約500万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。人と人 つながりの物語

エピソード12親父のトマト

2021年3月18日 UP

Facebookシェアボタン
エピソード12のイラスト

敷地しきち翔平さんはまだ32歳だが、その人生はけっこう起伏に富んでいる。仕事はトマトの生産。100年以上続く農家の5代目だ。トマトは農事組合法人 埼玉産直センターを通じて、コープに出荷されている。今、敷地さんは生産者であり、毎週宅配を利用する組合員。しかし、2年半前まではコープみらいの配達担当だった。

「物心ついたころから親父がトマトを作るのを見て育ちました。繁忙期には兄弟3人で手伝いをしてきたけど、農業をやりたいと思ったことはなかったんです」

子どものころは、とにかく足が速くてスポーツが大好き。小学2年生から野球少年で高校時代は甲子園を目指した。部員が100人以上いる野球部で、ポジションはショート。高い競争率に何度もめげそうになったが、猛練習してレギュラーの9人に選ばれ、甲子園に行った。大学でも野球部に入ったが、1年生のとき肩を壊し、野球をあきらめた。

野球がなくなってしまった人生は物足りなかった。

残りの学生生活は軟式の草野球やアルバイトをして忙しく過ごし、さいたまコープ(現在のコープみらい)に就職した。

コープでの配属先は秩父センター、配達担当になった。最初、物量と配達件数の多さに圧倒され、何度も辞めようかと思った。父親に「辞めてトマト作りを手伝おうかな」と言うと、「手伝わなくていい」と断られた。仕事を続けられたのはリーダーの大澤さんがいたから。大澤さんは目を見張るバイタリティの持ち主で、適切なアドバイスをくれた。この人のためにがんばろうと思えた。

そんな日々の中、配達先で「お茶飲んでいって」とすすめられ、「コープのお兄さん」と呼ばれていたのが「敷地さん」と呼ばれるようになると、配達が喜びを感じる仕事に変化していた。[絶対に嘘をつかない][できるだけのことをする]と自分の中のルールを守って仕事をした。


3年半がたち、熊谷センターに異動になった。あるとき偶然、父親の作るトマトを〈おすすめ商品〉として勧めることになった。

エピソード12のイラスト

「『ほどよい酸味と甘味ですごくおいしい』、『鮮度が全然違う』、『食感がいい』、『頼んでよかった』って、たくさんの人が笑顔でほめてくれたんです。やり取りの中で、組合員の皆さんが食べるものを大切に考えていることを感じました。そして初めて、親父ってすごいんだなと思いました。今ならその理由もわかるんです。作業がすごく細かい。土壌の水分量、肥料の具合、与える水の量、日射量......ハウス内の温度も0.1度単位で見て、やることを決めています。一切妥協しない。そして、いつも楽しそうに仕事している」

翔平さんの心の中では、「食」って大切なんだ、農業は意外といいものだという感覚が育っていった。就職して7年半、30歳になる少し前、翔平さんは父親に「トマトを作ってみたい」と相談した。今度は反対しなかった。仕事を辞め農業大学校へ1年間通い、農家になった。

「農業1年目、また新しい壁にぶつかっています。勉強したとはいえ、やっぱり実践は違っていてわからないことだらけ。でも逃げない、今までも逃げなかったから。農業は可能性がたくさんある仕事、夢は無限。おいしいトマトを作れるようになりたい、早く一人前になって親父に認められたい」

彼にとってコープは食の大切さを学ぶ場でもあった。教えてくれたのは配達を通して出会った人々。

私たちは彼の作ったトマトを通して、これから彼が未来の自分を切り開いていく姿を見ることができるのだ。

illustration:Maiko Dake

※このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。

こちらも読んでみる

人と人 つながりの物語

職員との心に残る出来事を随時募集しています。

エピソードを送る