人と人 つながりの物語 コープデリグループの組合員数は約500万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。人と人 つながりの物語

エピソード11涙の理由

2021年2月18日 UP

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エピソード11のイラスト

コープの宅配で、加入から20年を迎えると贈られる記念タオル。毎週の配達の中にそれを見つけた和子さん。いつもは忙しさもあって宅配センターの担当者からのメッセージに返信もしていなかったが、その日は何の気なしにメッセージを書いた。

《20年前、幼稚園生だった娘は、先日26歳で結婚しました。8年付き合った高校の同級生とです。最初の配達担当だった茅野ちのさんに、20年ぶりに会いたいなぁ......》

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「茅野さんは話していて楽しい人でした。私は専業主婦で社会から離れていたから、コープの宅配のお兄さんと話すのが、社会との接点みたいなところもあった」と和子さん。

メッセージを受け取った久喜センター(埼玉県)のこんさんは、茅野さんが今もコープに在籍していることを確認し、本人に連絡。その後、和子さんに電話した。

「私は病院に勤めていて、その夜、事務所でひとり仕事をしていました。静かだったので携帯電話のブーっという振動音で着信に気がつきました。出てみたら今野さんが『茅野さんが会いに行けるそうです』って。今野さんのやさしい声としゃべり方、最後に茅野さんに会った日の『もう来週から配達に来られないんですよ』と言った悲しい笑顔、そしてこの20年がそうとうのように思い出されて、電話口で泣いてしまいました」

自分でも涙の理由がわからなかった。でも私全力で生きてきたな、と和子さんは思う。


夫と離婚したのは、娘が小学5年生のとき。「ママもういいよ、離婚しちゃいなよ」という娘の言葉で決意した。娘と2人の生活では、まず就職先を見つけるのに苦労した。「医療事務の資格を30代半ばで取ったのですが、3年くらい派遣でいろいろなところで働いて、やっと職員にしてくれる病院を見つけました。だから、娘に別の夢があるなら応援しようって思ったけど、『看護師を目指したら?』って言ったんです。手に職があれば困らなかったのにって、私が痛感したから」

母娘2人の生活を始め、仕事から帰るのはいつも夜。

「娘がおなかすいたって待ってるんですよ。まだご飯作れなくてね。だから、コープの宅配が週に一度家に届いていて、いつも本当に助かった。届いたもので夕飯を作って必ず2人で食べました」

娘の聖佳きよかさんは和子さんの父である祖父によくなついていた。

「おじいちゃん子で、とってもかわいがってもらっていました。数年後、父ががんを患って、結局4度、同じ病院で手術をしました。生前、父は私に『聖佳と2人で絶対に幸せになるんだぞ』って言ってた。父が最期まで自分で一生懸命呼吸をしている姿を見て、娘の中で何かが変わったみたいでした」

聖佳さんは看護師になることを決め、看護大学へ進学。卒業後、かつて祖父が入院生活を送った病院に就職した。

「そこ落ちちゃったらどうするの?って思ったけど、娘は祖父がお世話になったその病院に恩返しがしたい、絶対に勤めたいって、他の病院を受けませんでした」

就職試験の面接では、どうしてもここに勤めたい理由、自分にとってその病院でなくてはならない意味を、生前祖父が世話になり最後の時を過ごしたことと感謝の思いを、涙を流しながら語った。聖佳さんは現在、その病院の看護師として働いている。

2020年10月、今野さんと茅野さんは和子さんの自宅を訪れ、和子さんは茅野さんと20年ぶりに再会した。思い出話をしながら20年の時の流れを噛みしめた。記念に一緒に写真も撮った。

「幼稚園生だった娘が26歳、20年、あっという間でした。30年もきっとお祝いしてもらえるんじゃないかな。娘も、私の母も近くに住んでいて、みんなコープの宅配にお世話になっています。コープさんに感謝」

母と娘の20年、いつも食卓はあたたかかった。

illustration:Maiko Dake

※このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。

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