人と人 つながりの物語 コープデリグループの組合員数は約500万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。人と人 つながりの物語

エピソード10小さな秘密

2021年1月21日 UP

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エピソード10のイラスト

73歳のみやこさんは夫と2匹の猫と、神奈川県に近い都内の一軒家で心穏やかに暮らす。食生活の8割以上をコープの宅配が支えている。彼女には配達担当者には話さない小さな秘密がある。44歳のときだから29年前の話だ。
「あのころは多摩ニュータウンの団地で暮らしていました。すでにコープの組合員だった私は、コープの配達を受け取るときにトラックに貼ってあった『配達レディ募集!45歳迄』の貼り紙を見て、ふと私もやってみようかなって思ったんです」

当時、2人の息子は高校生になり、夫は大阪へ単身赴任したばかり。自分の時間が増えたタイミングだった。持っている資格は普通自動車運転免許だけ。人見知りでふだん気軽に話せる友達もなかった。仕事をしたかったが、事務仕事より人と会えるからこの仕事がいいな、と思った。44歳専業主婦の大きな挑戦だった。
簡単な試験もあったんですが、無事に採用されました。でも、入ってみたら周りは若い人ばかりで。あなたみたいな奥さんに務まるの?って言われているような気がして……」

仕事は半日で午後中心。当時は個人宅への配達はなく、すべて3人以上の共同購入だった。仕事を教えてくれた先輩は30代前半の女性。半年ほど怒られながら指導を受け、ようやく一人立ち。地図は先輩職員の手描きだった。
「初日は予定の1時間遅れで配達が終わって、当時は立ち会いで受け渡しをしていたので待っている班の方も多く、まだ来ないの? なんて事務所に電話がかかってしまって。私の担当エリアは道路が碁盤の目のようで一方通行が多くて、道を間違えると戻るのが大変でした」

「こんにちは」とあいさつして商品をおすすめするのも勇気がいった。なかなか最初できなかった。注文書をもらい忘れて後から電話をしたり、団地の別の棟に商品を置いてきてしまったり「ありとあらゆるミスをしました」と苦笑いする都さん。

それでも、せっかく始めた仕事。早く一人前になりたい。そんな気持ちで働いた。自然に声かけができるようになり、おすすめした商品を「じゃあ試してみるわね」と言ってもらえたときは一人歓喜した。


4年後、別の町に引っ越し、夫の単身赴任も終わっていたが、都さんは仕事を続けることにした。
新しい宅配センターは、やり方が違っていました。前のセンターでできたんだからできるって思って、また一から仕事を覚えました。今度は坂の多い町でした」

ある年の冬、大雪が降った。配達を担当する班の一つが、急な坂の上にあり、チェーンをしていても道が凍ってタイヤが滑り、坂の下で立ち往生してしまった。
「車で登ることをあきらめて、担いでいくかと荷物を整理し始めたとき、たぶんそれをずっと見ていたんでしょうね、近所の住人のおじさんが『上、行くんだろ? 軽トラなら登れるから運んでやるよ』って声をかけて助けてくれたんです。とってもうれしかったですね。見守ってくれている人っているんだなと思った」

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他にも、寒い日にあったかいお茶を「飲んでいきなさいよ」と出してくれる班や、おすすめした商品は必ず試して意見を言ってくれる人など、都さんの配達の日々は多くの人々とのあたたかな交流にあふれていた。

50歳になる年。都さんは夫の両親との同居生活を始める約束をしていた。自分の体力の低下も感じていて、どちらもは無理だなと思い、仕事を辞めた。
「たくさん友達ができました。あとは、知らない人と話ができなかった私が誰とでも自由に話せるようになって、自分に自信が持てた。配達の仕事をしたのは6年間だけでしたが、夫の父を10年後に、母を18年後に看送り自分が73歳になった今でも、人生で宝物みたいな時間だったと思います。いまだに配達で失敗する夢を見るんですよ」とおかしそうに話す。そして最後にこう続けた。
「もう30 年も昔のことだけど、一生懸命やったことって歳を取っても思い出すよね」

都さんがコープの宅配利用を始めて40年たつ。若い配達担当者が訪ねてくると「私も昔、配達やっていたのよ。がんばれ」と心の中でそっとつぶやくのだ。

illustration:Maiko Dake

※このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名です。

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