エピソード61戻ってきた“日常”
2025年12月18日 UP
令和6年能登半島地震から約2年、現地では建物の解体や撤去が進んでいる。「目印にしていた建物や看板がなくなると、場所が分からなくなって、この前も運転中に道を間違えてしまいました」と、石川県七尾市の練り物メーカー、株式会社スギヨで働く
スギヨでは市内の3工場が被災し、操業を停止。村中さんが工場長を務める団地工場もそのひとつだった。主力製品のカニカマを製造していることから、最優先で生産再開を目指すことが決まり、従業員みんなで片付けや清掃に励んだ。同時に、製造していたレトルトおでんの在庫や、所有する農場で栽培していた野菜を避難所に提供するなど、地元企業として支援活動にもできる限り取り組んだ。本社は近隣住民のために敷地内の井戸を開放し、避難所の運営や支援物資の仕分け、入浴施設のサポートに携わる従業員もいた。村中さんを含め、初めは多くの人が避難所から工場に通っていた。みんなが助け合った。
復旧作業と並行して従業員の安否確認も行い、震災から約20日後にようやく、団地工場で働く約150人全員の無事が確認できた。「自宅が全壊してしまった人もいましたが、全員無事でした。元日だったのが不幸中の幸いでした」と村中さんは振り返る。土日・祝日問わず稼働する工場も、元日だけは休みだった。大きな機械が横転していたことを考えると、誰もいなくて本当に良かったと思った。
2月末、約2カ月ぶりに工場が再稼働、3月から徐々に出荷を再開した。復旧には、東日本大震災を経験した宮城県のグループ会社も全力でサポートしてくれた。「機械を再稼働する際の注意点など、適切な対処法をいち早く教えてもらい、早期復旧ができました」
他県の工場に行ってもらったり、一時帰国してもらったりしていた外国人の技能実習生も、最終的には1人も欠けることなく戻ってきてくれた。「地元の従業員も実習生も、みんなが元気に出社してきて、たわいもない話をしながら作業している光景を見て、平常のくらしが戻ってきたことを実感しました。地震の前には気付かなかったけれど、これが一番の幸せなのかと思いましたね」
不安な日々の中で大きな力になったのは、「復活を待っています」「スギヨさんのカニカマが食べたい」と言ってくれた地元住民や全国の組合員の存在だ。再開後には組合員から「スギヨさんのカニカマ、待っていました」というメッセージをもらった。「ビタミンちくわ」がソウルフードという長野県からは、小学生が工場見学に来て、歌を披露してくれたという。「得意先の皆さんの応援キャンペーンもありがたかったですね。コープの組合員の方々からいただいたメッセージカードは、従業員が通る所に貼り出して励みにしました。カニカマを世に送り出したメーカーとして、前向きな力になりました」
見慣れた風景が消え、七尾以北の人口が減っていくのは寂しい。でも、落ち込んでばかりはいられない。村中さんはこれからも能登で、みんなが集まって働く場所を守っていく。
illustration:Maiko Dake
※このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。





