エピソード45ボランティアの意味
2024年5月23日 UP
2024年1月1日に令和6年能登半島地震が発生、大きな被害を受けた石川県の生協であるコープいしかわへの援助のため、日本生協連※が
37歳の加藤雄太郎さんは、18歳でとちぎコープに入職し19年が経つ。人生の半分、コープで仕事をしてきた。現在は宅配の安全運転トレーナーで、職員への安全運転教育や研修、同乗指導、ドライブレコーダーの点検などが普段の仕事だ。加藤さんは今回、コープいしかわの宅配業務を支援するボランティア第2陣として約1週間を現地で活動した。
「1月21日の日曜日から金沢市に滞在し、翌日から5日間毎朝車で約1時間半かけて、のとセンター(七尾市)へ通いました。想像していたよりも被害の範囲は広かった。まだ震度4くらいの余震も起きていました。派遣された地域はもっとも被害の大きい町ではなかったのに、地割れや、部屋の中がめちゃくちゃになってしまった家屋などもありました」
加藤さんの主な役割は、コープいしかわの30代女性職員・
「新さんは、前向きでとても明るい人でした。前職が介護職で、避難所では介護のお手伝いもしていたようです。毎週会っていた組合員の皆さんが被災しているので心配で、この日から仕事に戻ったということでした」
新さんは「自分も復帰初日だから、仕事を手伝ってもらえてとても心強い」と加藤さんに言った。
配達エリアは地割れで通行止めの道もあり、200メートルくらい離れたところにトラックを止めることもあった。加藤さんは主に配達する商品を運び、新さんの仕事を手伝った。
「配達と同時に、組合員の皆さんにペットボトルの水を配っていました。配達したエリアは断水はしていなかったのですが、水道水はまだ飲まないでくださいと言われていました。それなのに、先々で水を差し上げようとすると、多くの組合員さんが『断水しているエリアの方々がもっと大変だから、そちらに持って行ってあげて』といって断るんです。人に対しての思いやりの気持ちを目のあたりにしました。組合員の皆さんは、新さんのことを心配していて、『大丈夫だった?』といった会話がほとんどでした」
新さんを含め、のとセンターの職員たちは全体的に明るかった。
「単純にすごいな、みんな強いなって思いました」と加藤さんは回想する。
5日間のボランティア活動を終え、加藤さんは土曜日に自宅へ帰った。
そもそも、加藤さんがボランティア活動を始めたのは、2011年東日本大震災発生後のことだった。
「宮城県南三陸町に友達がいて、コープ職員としても行ったし、個人的にも複数回ボランティア活動で訪れました。そのときも今回も、自分が行ったところでどうにかなるとは思いません。だけど、自分のためでもあるんです。万が一身近なところで自然災害が起きたとしても、きちんと行動できる自分でありたいんです」加藤さんはそう言って、少し恥ずかしそうに笑った。
人のやさしさや強さを間近に見て触れて、人間は成長できるのだと考える加藤さんは、それだけですでに素敵な人だ。
※……日本各地の生活協同組合や生協連合会が加入する全国連合会。正式名称は日本生活協同組合連合会
illustration:Maiko Dake
※このお話は、実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、物語にしています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。
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