人と人 つながりの物語 コープデリグループの組合員数は約500万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。人と人 つながりの物語

エピソード5届ける使命

2020年08月20日 UP

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エピソード5のイラスト

2019年10月12日、台風19号が日本に上陸した。東京・奥多摩町で町中心部と日原にっぱら地区を結ぶ唯一の道、日原街道が寸断され日原地区が孤立。大量の雨で日原川の水が勢いを増し、川の大きな石にぶつかり水の角度を変え、道路の下部を削り、根こそぎ崩落したのだ。
「雨がものすごい勢いでものすごい量降ったの。これまでにも何度も台風が来たことはあったから。でもまさか道路がやられているとは……」と日原で暮らして50年の佐知さんは言う。
都心から電車で約1時間半のこの集落は、日原しょうにゅうどうがあり、山登りや渓流釣りを楽しめる自然豊かな観光地である一方、住民は年々減り、もはや商店は一つもなかった。
寸断された道。日原で暮らす人々の中には、町へ働きに出ている人、また日々買い物に行ったり病院へ通う人もいる。コープは、ここで暮らす40世帯のうち約20世帯に宅配商品を届けている。この道がなければコープデリ宅配のトラックも、配達に行くことができない。

佐知さんは、東京の都心で終戦前年に生まれ、昭和40年代、25歳で3歳年上の数学の教師だった夫と結婚した。
「教師をやめて親のところへ帰るって言うから、私はついて来たの。私にとっては未知の世界ね。ここでのくらし、山も林業もわさびの栽培も何も知らない。ここは石灰の山があって、工場があって昔は人だらけだったの。世帯者が大勢いて、子どもたちもたくさんいて本当ににぎやかだった」とかつての日原の様子を語る。

義父は古くからこの地で米屋を営んでおり、佐知さんは夫とふたりでその店を引き継ぎ、食品や日用雑貨を扱っていた。
「夫が亡くなり店を閉めてもう20年。今は息子と2人暮らし。この地区の最後の店だった酒屋も閉まって。お店がないから、近県などからパン屋さん、八百屋さん、農協さんや牛乳屋さんも引き売りで来ていました」

畑で育てられるものは自分で育てたり、自然の恵みをいただいたりもして皆暮らしていた。


道路の崩落後、日原地区の配達を担当するコープデリ青梅センターと、奥多摩町役場、日原自治会の担当者たちで何とか配達しようと話し合いが始まった。
日原の人々にとって、普段からコープの宅配は大事な食料調達手段であったが、こんなときこそコープが商品を届けることは、使命だと言っても過言ではなかった。
崩落から9日で、人1人が歩いて通れる仮の橋が設置された。配達を再開させるためには、20世帯分の食品などを手作業で運ぶしかない。決まった配達方法はこうだ。
ー 毎週月曜日、宅配トラックが崩落した道路の手前まで注文を受けた商品を運び、そこで荷を下ろす。そこから、コープ職員、集落の住人、町役場の人、山岳救助隊など十数人が仮の橋を何往復もして手運びする。渡った先で別の車に積み替え、簡易郵便局横のバス停まで運ぶ。組合員は商品をバス停まで取りに行くか、それができない人のもとへは、男性たちが届ける。

多くの助けを得て、1週休んだだけで配達を再開させることができた。そのときのことを、日原地区配達担当の地引じびきさんは「何よりも組合員の皆さんに会えてうれしかった。配達を再開できてほっとした」と語っている。


2カ月ほどで、仮の橋の上にゴンドラが設置され、手作業で運ぶ必要はなくなったが、佐知さんの、商品を受け取りにバス停に通う生活は7カ月続いた。
「生協さんは崩落の翌々週には配達に来てくれた。みんな懸命に運んでくれたから、食料はなんとかなったのね。それから暖冬で本当に良かった。もしも大雪が降っていたらと思うと、もっと大変だったよね。ここでは生協を頼まないと食べるものを買えないから、いつもよりもみんな一生懸命買ったんじゃないかしら。
7カ月間は長かったけど、バス停は社交の場になって結構楽しんで通っていました。ひさしぶりーなんて言ってね。同じ集落に住んでいてもそんなに会っていなかったからね。1週間に1回、結構楽しんで注文したものを取りに通っていました。これも経験。笑いながら助け合って暮らしていきたいよね」

エピソード4のイラスト

台風発生から200日以上経った2020年5月7日。重量制限はあるものの、仮の道路が完成し通行止めが解除された。 5月11日、コープは通常の配達を再開させた。
「ほら、配達のお兄さんが来たよ。後にも皆さんが待ってるから、私は生協さんとあんまりおしゃべりはしないの」と、6月のある月曜日、配達に来た地引さんから段取り良く荷物を受け取り、笑顔で送り出す佐知さんの姿があった。
道路が完全に復旧する日を、佐知さんをはじめとして日原の人々は心待ちにしている。

illustration:Maiko Dake

※このお話は、実際にあった組合員の皆さんとコープ職員との交流を取材し、物語にしています。登場する組合員のお名前は仮名です

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